昔から夢のない人間だと言われています。
理想とか希望とか信念の夢のほうの。
 
流されるままに生きている節があります。
より良く、善く生きようとはしていません。
 
「自分は将来こうしたい」などの題材の作文で
先生に毎回親に手紙を書かれていた幼い頃から
ずっと変わらず、特にやりたい事がありません。
 
ちょっと、吐露。
 
他人の夢の話を聞く機会が多いです。
皆一様に輝かしい未来を描いています。
多少の挫折や苦痛はあるだろうけれど
きっと辛い目にあうだろうけれどそれでも未来は、と言った具合に。
そういう話を聞くと、素敵だな、と思います。
今そのために散々苦しんでいるのに、未来はそれでも明るいと
信じ続けるその精神力が素敵です。
私にはない光で、羨ましいとも思います。
 
でも私は未来に光を見出すことはありません。
現在にも、過去にも、光を見出すことはありません。
 
自分自身に光を見出すことができません。
 
私の絵によって、絵を始めた人を見ても
私は私に魅力を感じません。
行動によってどんなに素晴らしい評価を得ようとも
私は、私で在るがゆえにそれを評価できないのです。
 
過去も現在も未来も
私が私で在るがゆえに、きっと何も感じません。
 
一瞬の喜びで何が獲られようか、と
多分そうやって拗ねて端っこに行って膝を抱えているのでしょう。
  
 
夢があるから、今頑張ることができるんだよとひとは言います。
 
私は今生きることに理由も何も求めていません。
ただ生きている事が好きで嬉しいので
未来のために今の自分を酷使したり
未来に酷使させたり
するつもりは
ありません。
 
 
ただ生きるということ、
それだけでご飯3杯はいけるくらい輝いていると思う。
 
理由なんか必要ないです。
ただ生きることが好きなんです。